日常を書く執筆者:noe
イイ男な話 その1『誰似?』
2001年10月30日(火)
たとえ、些細な事でも心が愉しくなることってない?
ドアを開けて初めて彼が入ってきた時、
”あっ筒井道隆に似てる”って思った!
その人は会社に来る某有名銀行の銀行マンだった。
背が高くて筒井君より年はずっと上で結婚もしている。
(左の薬指に指輪がひかっていたのを見逃さない)
その人が来るというとなんだか嬉しかったのに、或る日
いつのまにか交代の引継ぎにも来ないで担当が替わっていた。

もう、筒井君似のMさんに会うこともないのね。

イイ男な話 その2『その人』
2001年11月1日(木)
その人は背こそそんなに高くはない。年は多分25・6だろう。
ハンサムではあるが誰からもイイ男と思われるかどうかは疑問だ。

その人から特別なオーラが感じられ、
いつも立ち寄るビルのその人の居るはずのフロアーで、
知らぬ間にその人の姿を目でさがす。

ある日、偶然に隣あわせに座った喫茶店で、
その人が注文した品が自分と同じカフェオレだったことさえ嬉しい。
しかし彼に惹かれる理由は恋ではない。

精神性に形があるなら、私が彼に感じるオーラは
もっとも自分によく似た異形のものだ。

彼の横顔は美しく、私はいつまでもその横顔を観ていたいと思った。
イイ男な話 その3『嘘』
2001年11月2日(金)
彼が嘘をついていたことよりも彼が消えたことが嫌だった。
嘘でもいいからいて欲しかった。

最初についた彼の嘘は彼自身だけでなく
そこに集う皆がいつのまにか彼に理想の男を重ねあわせ
すべてが絵そら事だと気がつきながら・・彼の嘘に荷担した。

ネットの世界で自分を偽るのは容易い。
はじめは快感だった嘘も、一つつけば多くの上塗りを重ね破綻する。

映画小説のような逆転ホームランはなかったね。
どこででもいい、今度は本当の貴方でいてください。


イイ男な話 その4『親友』
2001年11月3日(土)
その男は容姿も十分に魅力的で人を惹きつける術もあった。

しかしその男の何処に一番魅力を感じるかと言えば
彼の人生を分ち合える良き友人の存在だ。

人の価値を計る上でもっともシンプルで適切なバロメーターは
その人がどんな友人を持っているかだと思う。

金も地位も持たない、若く、まだ何も成し得てはいないが
最高の友を持つ男達はそれだけで美しい。
彼らの未来に乾杯しよう!!


イイ男な話 その5『恋しい男』
2001年11月4日(日)
昨日映画をみた。内容は男同士の愛の映画である。
恋人にエイズをうつされ悲嘆にくれている男のところに
やはりエイズにかかった破天荒な男が転がり込んでくる。

破天荒な男が殺人を犯し、逃亡する事になる2人だが、
途中、主人公が女友達と頻繁に電話するシーンがある。

逃亡中の上にゲイである彼らの隔絶された世界に
第三者が存在する事で、外界と遮断されずにいるのが救われる。

監督自身ゲイなのだが、まったく女を疎外していないのもうれしい。

からだの関係は愛に変って行き、
2人の行く末は破滅的であるにもかかわらず、
よりそう恋人同士は絵のように美しかった。
イイ男な話 その6『独り言』
2001年11月6日(火)
傍にいたらきっと好きになる。
そんな男だからできれば遠くにいて欲しい。

私が男なら友達になれたかもしれないけど
でも・・本当に男なら好きだなんて口に出せない。
友達のままで傍にいるのはもっと辛い?

女で良かったって感じるのは
思う存分貴方が好きだって言える時かな。




イイ男な話 その7『駈け引き』
2001年11月7日(水)
今日、どこかの番組に今、話題の映画「冷静と情熱とあいだ」の
原作者の江國香織さんと辻仁成さんがでていらした。

途中から拝見したので良くはわからないが、
どうやら辻仁成さんの書いたものの中に、
竹野内の恋人役の篠原涼子が竹野内に別れを言いだされて
「私が誰か他の男のものになってもいいの?」
と言うせりふがあるらしい。

そんなせりふは、私には描けないし、自分も使えないと
もう一人の原作者の江國香織さんは言っておられた。
たしかにこのせりふ。使いそうでいて女は使わないせりふである。

私がもし小説などで登場人物にこのせりふを使わせるとしたら
究極の駆け引きの時か、もしくは反対に余裕のある時であろう。

そのせりふを言われた男は、どんな返事を返すのであろうか?
また、どんなきもちでそのせりふを聞くのであろうか?

すくなくとも、そんなせりふを女に言わせてしまう男は
すこぶるイイ男でなければ、女は言う甲斐もないだろうし
女もまた、よほどの自信がなければ吐けないせりふである。

イイ男な話 その8『若造な中年』
2001年11月8日(木)
22歳五人。
23歳二人。
24歳三人。
25歳三人。
26・27・28・29・34歳それぞれ一人。

さてこの数字がなんだかすぐに判ったらかなりのサッカー通!
そう!昨日のイタリア戦に出場した日本代表メンバーの年齢である。
この他の控えの選手。南、奥、中村もみな22〜24歳だ。

Jリーグが発足して10年!Jリーグの始まった年には
彼らのほとんどはまだ小中学生だったのだからすごい!
この10年で若い力が確実に伸びてきているのを
サッカー王国イタリア代表を相手に見事に見せてくれた。

しかしこの中でずっと日の丸を背負いつづけている男。
中山雅史34歳。ひとまわりも年の違う若い選手の中でも
ひときわ若造な雰囲気をもってる不思議な男だ。

敵の時には、ほとほと嫌な奴なのだが
日本代表の時には、彼ほど観るものを
わくわくさせてくれる男はいない。

この男、頼りになる!!


イイ男な話 その9『哀しい眸』
2001年11月11日(日)
私はあの時の彼の哀しそうな眸を忘れない。
ずっと昔に或る番組で見た青年の眸。

小さい時に棄てられた母親に、成長した青年が
兄と2人で会いに行き、そこでその母親と
再婚した連れ合いが彼らに偉そうに説教をしていた。

親が彼らに何を言っていたのか、はっきりとは憶えていない。
たしか生きる事の大変さを語っていたと思う。

その的外れな説教を聞きながら
彼の目は、哀しく傷ついているのがわかった。

親になった今、私にも子供を棄てた
親の悲しみがわからないわけではない。

しかし、大人の身勝手な都合で棄てられた子供に
親の言葉はどう響くだろうか?

私が悲しかったのは、彼らの哀しみを思いやる事もせず
自分が棄てた子供の前で、のうのうと人生の大変さを語る
愚かな親の理不尽さと無理解だった。

彼らは親に捨てられた時、生きる術を持たない子供だったのだ。
大人の都合などわかるはずもない子供だったのだ。
そして、どんなに辛かろうとも親は子供より大人だったのに。

その違いに気づきもせず、まるで子供を棄てたことを
正当化するかのように、人生の大変さをこんこんと諭す親に
棄てられた恨み事一つ言わず、素直に頷く眸が哀しかった。

青年のほうが親よりもずっと大人の眼をしていた。
その澄んだ優しい眸が彼らの苦労を物語る。
それがなによりも哀しかった・・。

イイ男な話 その10『顔』
2001年11月12日(月)
男は顔だと思う。

しかし、顔がイイだけではイイ男にはなれない。

男の生き様は表情にでる。

考えの薄い奴はイイ顔にはならない。

イイ顔が出来なければイイ男にはなれない。

すなわちイイ顔の出来るイイ男は中身もイイ男である。
イイ男な話 その11『叶わぬ夢』
2001年11月14日(水)
イタリアの男は母親を心から大切にする。
何をおいても母親が大事!超マザコン男なのだ。

イタリアの嫁にはそんな夫はいかがなものだろうか?
しかし、その嫁も母になり息子を持てば
大切にされる存在になるのだからよろしいのだろう。

娘しか持たない私は、男の子を生んで
イイ男を一人育ててみたかった。

もちろん母の思い通りになる息子なんて面白くない。
自分の考えを持ち、自分の生きる道をしっかり見据えて生きていく!

そんな最高にイイ男を育てる。そして母をこの上なく大切にする。
そんなイタリア男のような息子を育てる。
それが私の叶わぬ夢である。

そうは言っても子どもはままならぬものである。
反抗期には「うるせぇ!くそ婆ぁ!」なんて言われちゃうものだ。

しかし、てまえ味噌でお恥ずかしいが
私の兄は母にくそ婆なんて言ったのをみたことがない。
母は一人息子の兄に死ぬまで大切にされた幸せ者である。

昔の母は息子に大事にされる資格が充分ありの偉い母だったのだ。
大切にされない世の母族は、母側にも問題があるのだとしたら。

娘の婿になる男は果たしてイイ男かどうか?
かなり不安な未来である。

イイ男な話 その12『聖戦士の死』
2001年11月15日(木)
世界をあっと騒がすようなことをやってのける!
NYの多発テロのようなことは人間の尊厳が
根こそぎ無視されていくようで恐ろしい。

NYテロが起こる数日前、やはり爆弾テロで殺された
北部同盟の最高指導者だった
”アフマド・シャー・マスード”と言う人のことを
彼を取り上げたニュースではじめて知った。

彼は旧ソ連のアフガン侵攻を阻止するために戦い、
一度は戦争にも勝ち国防相に就任するが
その後、暫定政府は倒され、新勢力タリバンの
攻撃をうけ、首都を追われ、20年以上も
ムジャヒディーン(ゲリラ聖戦士)として闘いつづけた。

女性に自由を与え、子ども達に教育を受けさせようと
多くの学校を作り、自らも戦争が終わったら
大学に戻って、世界のこと、イスラムのことを
もっと勉強したいと願っていたマスード。

写真に映る彼の眼はとてもイイ目をしていた。

世界にアフガニスタンの実情を知ってもらうため
積極的にマスコミに会い続けた結果。
NYテロの2日前の9月9日ジャーナリストを装った
敵の自爆テロにあい49歳で暗殺された。

NYテロが起こらなければ私にとって、
遠い国の出来事でしかなかった英雄の死。

平和な国で安穏と生きている私は、
彼の死にただ涙するだけで、彼らの国について、
とやかくいう事などとうてい出来ない。

しかし、男が力で支配する社会を思う時、
その社会を守るものは、そこで暮すすべての者たちの
尊厳の為に闘ってこそ真の指導者と言えよう。

誰が敵で、誰が味方なのかさえ、不明瞭な
あまりにも複雑な世界に存在する彼らの王国は
”世界”に裏切られることなく、共存する事ができるのだろうか。

マスードのような男を失って、いや、マスードでさえ
生きていたら、彼を失望させたかもしれない終幕が、
再び彼らに訪れないことを、彼の崇高な意思を
引き継ぐ為にも、一日も早い平和な日々を、
今は願わずにはいられない。



イイ男な話 その13『寒い国から来たスパイ』
2001年11月16日(金)
その部屋の窓はいつも開いている。
小さな路地に面したボロアパートの一階。
その部屋には年のいったガイジンさんが住んでいる。

夏だろうが、冬だろうが、部屋の窓は開きっぱなしだ。
もちろんクーラーもない。
時々白いタオルが一枚窓の外に干してある。

ボロアパートには風呂もない。
しかし、すぐ裏がお風呂やさんなので困らない。

暗く殺風景な部屋の中には、パソコンが一台置いてあるのが見える。
ボロアパートに年のいったガイジンさんとパソコンは、
かなり不釣り合いだが、それで仕事でもしているのだろうか。
大抵パソコンの前に座っている。

その居住まいからみると、その人は何年も
そこに住んでいるにちがいない。

もしかしたらそこの住人に成りすましている
通称”草”と呼ばれるロシアのスパイだったりして!などと
なさそうで有りそうな、アホな想像をめぐらしてみたくなる。
(なぜロシアのスパイなのかは単に勝手な思い込み)

そんな空想がお似合いな、ボロアパートに住むガイジンさんなのだ。




イイ男な話 その14『袴田くん』
2001年11月17日(土)
袴田吉彦が”笑っていいとも”に出ていた。
なんだか嬉しい!

バラエティなどで見せる彼のおちつきのない
眼がうろうろ心もとなげな態度。照れ隠しなんだろうね。

話を素直に聞いている従順な態度は同姓の年上の受けがいい。

しかし・・この人きっと内弁慶だと思うよ。
仲間うちではかなり強気な人。

でも、相手がもっと強気だとゆずってしまいそう。
もともと我が強いわけではなさそうだから。

では惚れた女にはどうだろう?
メロメロに成るタイプ?
それとも亭主関白に振舞ってみせる?

袴田君の恋人。
想像できないけどちょっとジェラシー感じてみたりして。
やっぱり袴田君には惚れてるかな?


イイ男な話 その15『抱擁』
2001年11月18日(日)
男が人前で堂々と抱き合って、時にはキスまで交わす。
そんな様子が見られるのはサッカーのゴールシーンだけだ!

男がそこまで嬉しさを表現してしまうほど
サッカーの1点は嬉しい!

それほどサッカーのゴールはたやすくは決まらない。
賢明に走り、必死に相手の猛攻を防いで
ようやくあげるゴールはせいぜい多くても2点から3点。
先日のイタリア戦でのヤナギの1点は価千金の一ゴールだった!

キラーパスが通り、流れの中でゴール・ネットを
ボールが揺るがす瞬間のたまらない快感!
頭の中には脳内モルヒネのドーパミンが溢れかえっている事だろう!

観ているサポーターでさえこれだけ興奮するのだから
ゴールをあげた本人や仲間は言わずと知れている。

サッカーもできないし、男でもない私には
誠に不遜な想像で申し訳ないが、
男として最高のセックスに匹敵する快感かもしれない
なんて言ったら怒られるだろうか。

まぁどちらにしてもサポーターとしては
相手が男だろうと誰だろうと、すばらしいゴールを
どんどん決めて喜びを分け合って欲しいものである!



イイ男な話 その16『ハンディ・キャップ』
2001年11月20日(火)
綺麗な男にはハンディがある。
それは綺麗が故に細かいところにまで
こだわられてしまうところだ。

その一つに竹野内豊の額へのこだわりがある。
髭をはやした汚い顔だろうとそれは許せる。
しかし、竹野内豊が額を隠していると許せない。

あくまでも個人的な趣味の問題だが
前髪や帽子で額が隠れていると魅力的に見えない。

出ている額にわずかに前髪がかかると妙に色っぽい。
私にとっての竹野内豊は額で決まるといっても過言ではないのだ。

しかし、綺麗な男は自分がどう見えるのかを
あまり気にしないでほしい。

綺麗を判断するのは他人であり、その眼を意識しすぎると
とたんにその魅力は色あせてしまう。

綺麗に生まれたことを忘れるほど
イイ男はさりげなくイイ男でなくてはいけないのである。

綺麗な男への要求は果てしなく大きい。
綺麗な男の綺麗が故のハンディである。

イイ男な話 その17『サトラレ』
2001年11月21日(水)
”サトラレ”という映画を見た。

この映画はいわゆるおとぎ話なのだが、
映画の中で”サトラレ”本人は、自分の考えてることが
周囲に全部聞えているのをまったく知らない。
知らないで生活できるように”サトラレ”受け入れ体制の街で
彼は普通に暮らしているのだ。

しかし、事実を知らない彼の思念は、全部垂れ流しで
周囲の人はそれを聞かぬ振りをしてすごさねばならない。

知らぬ本人も気の毒だが廻りも気の毒だ。
話はいろいろあって詳しくは書けないが、
ラストで”サトラレ”の祖母が彼に言う。

「大丈夫だよ。オマエが良い子なのはみんな知ってるから」

私が、もし”サトラレ”で私の思念が筒抜けで、
友人も家族も知らない振りをしているとしたら

いやいや、考えただけでも恐ろしい・・。

「大丈夫だよ。君が変なのはみんな知っているから」
と、或る日誰かに言われたら、そのときは覚悟しよう。

考えてることが顔に書いてあるとは良くいわれるけど・・まさかね。




イイ男な話 その18『穏やかな幸福』
2001年11月22日(木)
知り合いが定食やさんの店を出した。小さな店だが
厨房には大層リッパな業務用の冷蔵庫が置かれていた。

その冷蔵庫はさしずめ万年筆ならモンブラン!
車ならボルボのように重厚で、目にも眩しくうらやましい代物だった。

しかし、いくら気に入ったからといって
我が家の台所には不釣合な事この上ない。

冷蔵庫からいきなり話は飛ぶが、
以前、夫を捨てて他の人と結婚するとしたら
誰としたいかという阿呆な質問に、私の義姉は
「ブラッド・ピットなら考えてもいい!」とのたまもうた。

これは間違っても自分の夫(すなわち私の兄)が
ブラッド・ピット並にイイ男だと言うわけではない!

むしろ彼女に言わせれば、今更だれと結婚しようと
同じようなものだから大好きなブラッド・ピットと結婚出来るので
なければ、わざわざ離婚まで考えないというのである。
現実的なのか、突拍子もない考えなのか、良くわからない人である。

話はもどすが、眩しく輝かしい業務用の冷蔵庫は
おそらく我が家の階段では、台所まで上げることは
できないだろうし(台所は二階にあるのだ)
ブラッド・ピットに兄の待遇が受け入れられるはずもない。

我が家の台所に置かれた業務用冷蔵庫と、
彼女の夫であるブラッド・ピットに共通するのはなにかといえば、
そこにあるべきものは、何事も相応のものであるべきという
ただ一点にほかならない。

穏やかな幸福は己をしることから始まる。
私も義姉も、もとよりそんなことを望むべくもないのではあるが。



イイ男な話 その19『夭折』
2001年11月24日(土)
”夭折”とは年が若くて死ぬ事を云うが、
では”夭折”という言葉の限界は幾つまでなのだろう。

”夭折”という響きには、若くして亡くなって
「惜しい事をした」というニュアンスが含まれる気がする。

また、”夭折”という言葉には=若くて亡くなって惜しい=”儚い”
というイメージも付きまとう。

ジェームス・ディーンやりバー・フェニックスの死などは
まさに”夭折”という言葉がぴったりくる。
彼らは若く美しく、まだまだ成すべき事が沢山あったはずだから。

もう一人私の好きな俳優、市川雷蔵さんが亡くなったのは
彼が37歳の時だったが、雷蔵さんが”夭折”だったと実感したのは
自分が雷蔵さんの亡くなられた年を越えてからだった。

私の”夭折”の上限は、自分の年齢にしたがって
あがるかといえばそんな事はない。

もう40を超えたらそろそろダメである。昔話でいえば
『おじいさんは芝刈りに、おばあさんは洗濯に』の年なのだから。

しかし、私のイイ男の持論は、若くて綺麗なのは当たり前だが
年を重ねたあとに男の真価は問われるのだと思っている。

ゆえにイイ男よ!夭折してはならない!
生きて証明して欲しい!いかに本物のイイ男であったのかを!

さて十年後、イイ男のまま生き残るのは誰だろう?
今から愉しみである。



イイ男な話 その20『嫉妬』 
2001年11月25日(日)
NHKのドラマに久しぶりに筒井道隆君が出ていた。
ちょうど友人と電話をしながらそのドラマを見ていたのだが、
筒井君が松坂慶子さんと抱き合っているシーンが眼に入ってきた。

実はこういうシーンを見るとちょっと複雑な気持ちになる。
若い素敵な男が、年上の女性に恋焦がれて夢中になるのは
年上の女に若い男をとられて悔しいという気持ちと
この年でもまだまだOKなんだという気持ちと
微妙に交叉するのである。

しかし、いくらこの年でもOKなのねといっても
相手は綺麗で魅力的な女優さんだ。我々とは比較にならない。

ゆえに若い男が年上の女性とくっついているのは
大抵の場合不愉快なだけだ。

以前、やはり筒井君が某朝の連続ドラマで
結婚式の最中に主人公の女の子を捨てて、年上の女と逃げてしまう
ボクサーの役をやっていたが、彼の子供を女手一つで育てていく、
本当なら健気なはずの主人公のあまりの身勝手さに、
こんな女からは逃げて正解と思いつつ、
年上の女とも早く別れろ!と願いながら
私は毎日そのドラマを見ていた。

自分の好きなイイ男は誰のものにもなって欲しくない。
ドラマにさえ嫉妬しているそんなファンがいるかと思うと
イイ男も楽ではないのである。





イイ男な話 その21『プリンス・チャーミング』
2001年11月26日(月)
新庄剛志はチャーミングな男である。
彼がこんなにチャーミングな男であると知ったのは、
大リーグのTV中継で彼を頻繁に見るようになってからだが、
これはおそらく私だけではないと思う。

阪神時代の新庄ははっきり言って浮いていた。
試合中の派手なリストバンドも、試合後の普段着も
どうにもスカしたお兄さんにしか見えなかった。

アメリカに行った当初、言葉がまったく通じずに
とても孤独だったという新庄は、イチローとは対照的に
日本人の記者に積極的に接したのも、今から思えば
人恋しさからだったのかも知れないが、
そのおかげで、私達は新庄のチャーミングで
人懐っこい一面を見る事ができたわけである。

しかし、大リーグで彼が変ったわけではないのかもしれない。
新庄が大リーグに行ったばかりのころ
彼を良く知るトラきちの飲み屋のオヤジさんが
TVで新庄について語っているのを聞いた事がある。

オヤジさんは新庄への愛情たっぷりに
「あの子はまったく遊ばんし、ホントに真面目で
野球がすきなエエ子なんや」と、眼を細めていた。

8年越しの付き合いだった夫人を渡米前
籍に入れたのもケジメをつけたかったと聞く。

新庄の誠実な人柄も、野球への情熱も
私が知らなかっただけで昔から
みんなわかっていたことなのだろう。

いまさらながらに大リーグに行ってくれて良かった!
でなければ、確実にイイ男を一人忘れる所だったから。


イイ男な話 その22『路上の人』
2001年11月27日(火)
いつの頃からか近所のガード下に男性が住みついている。
いわゆるレゲエのおじさんである。

あまりじろじろ見たことがないので
どれくらいの年齢のおじさんなのかまったくわからない。
一つだけ私がおじさんについて知っているのは
その人がたいそう几帳面な性格の人らしいという事だ。

どのように几帳面かというと、おじさんの持ち物は
わずかなものだがいつもきちんと片付いている。

ある日、カード下を通りかかると寝るときに使っている
あまり美しくない毛布や布団が四隅をきちんと揃えて畳まれ
まっすぐ狂いも無くダンボールの上に積まれていた。

そのあまりに整然とした様子に
私は、雑然と片付かぬ我が家を思い
むしょうに恥ずかしくてならなかった。

その後、おじさんのいないわずかな間に
誰かがおじさんの持ち物を処分してしまい、
ガード下の寝床はスッカラカンになってしまった。

数日後、戻ってきたおじさんは、
ダンボールで囲いを作り寒さをしのいで暮しはじめ、
今はようやく持ち物も元通りになりつつある。

しかし、私の気のせいかどうかわからないが
何処となく以前のように几帳面な暮しぶりではない気もする。

もしかしたら違う人かもしれないと思いつつ
確かめる勇気のない私は、きちんと畳まれた
毛布をみるまでは、遠くからいつもおじさんを伺っている。


イイ男な話 その23『冷静と情熱の合間?』
2001年11月28日(水)
今日「冷静と情熱のあいだ」を観に行った。
フィレンツェとミラノは、仕事で二度ほど行った事がある。
大きな画面でその懐かしい街並みが観てみたかった。

赤い煉瓦の建物。古い石畳みの小道。
アルノ川にかかるベッキオ橋には貴金属の宝飾店が立ち並ぶ。
古い街フィレンツェは数年前とまったく変らない。

再会の場所がフィレンツェだからこそ
十年前の約束を信じ2人が佇んでいても不思議はない。
そんな奇跡を信じられる街なのだ。

竹野内豊とケリー・チャンが、十年後に登ろうと約束をした
”ドゥオモ”だが、私達は上に何があるのかを知らずに登り始め、
そのあまりに長い階段に、途中で挫折し降りてしまった。

映画を見るまであんな風にフィレンツェを一望できるとは
思っていなかったので、登らずに惜しい事をしたと思う反面、
頑張って登りきったとしても高所恐怖症の私は
すっかり足がすくんでいた事だろう。

同行者は竹野内のようなイイ男ではなかったが
(本人はそれなりにモテルという自負はあるらしい)
イタリアに数年住んだ事のある人だったので、
言葉に不自由することなく、古き佳き趣のある宿に泊まり、
彼のイタリアの友人たちと食事をし、広場のカフェやバールで
パニーニをかじりカフェ・ラテを飲んだ。

彼によるとイタリアのカフェは同じ物でも、
立って食べるのと席に座って食べるのとでは値段が違うらしい。
ゆえに席が空いたからといっても日本のように
勝手に座ってはいけない。

カフェといえばイタリアのエスプレッソは恐ろしいほど濃い。
それにズッケロ(お砂糖)を信じられないほど
沢山入れ舐めるように飲む。お菓子も超甘い。

友と会えば一番にサッカーの話に花が咲き
女性をくどくのを礼儀と心得るイタリア男達だが
パスタが前菜でしかない彼らの食欲をみるにつけ、
若い頃はどんなに細身の色男も十数年後には
ビア樽体型間違いなしだろうと思う。

いつの日か再びフィレンツェを訪れる事ができたなら
イイ男との十年来の約束などありはしないが
こんどこそ”ドゥオモ”を完全制覇したい!

観光では知る事のなかった懐かしい
フィレンツェ&ミラノの日々である。

イイ男な話 その24『ドラマと映画のあいだ』
2001年11月29日(木)
「冷静と情熱のあいだ」で竹野内が演じる
”順正”の部屋にケリー・チャンの”あおい”が初めて
訪れた日、彼女にキスをしようか迷うシーンがある。

愛しい唇に、自分の唇を戸惑いながら寄せるシーンは
まだ恋人になりきらない二人の距離を思わせた。

その後、始めて二人がくちづけを交わすシーンは
十年後の再会のシーンと重なる重要なシーンである。

小さなエピソードだが、作り手や演じるものにとって
心にとめておいてほしいこだわりのシーンに違いない。

ところでこの作品は竹野内豊の映画初出演である。
ドラマ経験は豊富の竹野内君でも、監督にずいぶん
厳しい演技指導をされたらしい。

当然の話だが、映画は映画館で見られる事が大前提である。
眠てしまった人以外、観客全員の目はその演技にくぎ付けだ。
それもお金をはらい、時間を削いて見に来ている客である。

たとえ一シーンでも無駄にはできない。
もちろんドラマに無駄があってよいと言うのではない。

目の動き。表情。どんなに大画面のTVをお宅にお持ちでも
映画館のスクリーンに映し出されるものはその比ではない。

もちろん撮り直しは利くが、VTRのように自分の演技を
すぐに確かめることは出来ない。

もう一つ、竹野内君の言葉をそのまま借りると
映画はTVドラマと違って確実に”残るもの”がある。

それゆえ役者はその役に、製作者は作品全体に
深い愛情をもって感情移入するのだろう。

しかし、日々の合間に見るTVドラマにも
そういうシーンが必ず隠されているはずだ。

ダイレクトの放送時間には片手間に見ていて
見逃してしまったかもしれない作り手のこだわりを
再確認するために私は好きなTVドラマは
必ずビデオにとることにしている。

そうして見返してみると、それまで気付きもしなかった
おもわぬ良いシーンや素敵な表情のイイ男を偶然発掘する。
それもちょっとしたドラマの愉しみ方である。

イイ男な話 その25『見つめる眸の向こう側』
2001年11月30日(金)
面差しに少年っぽさがわずかに残る。
綺麗な眸をしている若者である。

今もっとも注目するサッカー選手は?と聞かれたら
私は迷わず『小笠原満男』と答える。

いつも背筋を伸ばしすくっとピッチに立っている。
まっすぐな視線の先に、小笠原は何を見ているのだろうか?

何年か前、TVでオリンピック代表の特番をやっていた。
合宿の練習中にいきなりトルシエが『お前は日本に帰れ』と
小笠原を怒鳴りつけた。どうやら積極性に欠ける小笠原が
気に入らなかったようだが、訳もわからず練習を中断されられた
小笠原は、反論もせずにだまって一人練習から離れた。

シャイな小笠原には不向きなシーンだった。

その小笠原と正反対だったのは中田ヒデである。
途中から合宿に参加したヒデは、ある日ミーティングの
集合時間ぎりぎりに部屋に入ってきた。

時間にうるさい監督が、もっと早く来るように注意を促すとヒデは
『私は遅れましたか?遅れていませんよね?』と反論した。

いうべき事はきちんと言う!ヒデらしい態度だった。

小笠原はその後、試合に出る事なくチームに帯同させられていたが、
遠征の間中ずっと、トルシエの顔をまともに見る事もせず
終始うつむいたままだった。小笠原は何を思っていたのだろう。

鹿島にもどった小笠原はのびのびと試合にでるようになった。
鹿島の三冠達成に貢献しMVPももらった。
今年はイタリアからオファーも来た。

小笠原がオリンピックの合宿で学んだものがあるとしたら・・。
それが何かは、あくまでも推測の域をでないのだが
海外に出ることよりも、日の丸を背負う事よりも、
今、小笠原はサッカーがうまくなる事を
なにより愉しんでいるように見える。

まだまだ伸びる!小笠原満男22歳。すでに一児の父である。



イイ男な話 その26『九州男児』
2001年12月1日(土)
義理の叔父は九州男児である。
想いを寄せていた私の叔母の見合い話を勝手に
ことわりに行き、めでたく奪還した逸話を持っている。

そうまでして娶った妻だが、叔父は釣った魚に
餌はやらない(?)正真正銘の亭主関白である。

その叔父とは関係ないが、我が家の子供がまだ幼稚園の頃。
お父さんの参観日があり、子供と父親が相撲をとらされた。

ほとんどのお父さんはわざと子供に勝たせてやるのだが
ただ一人だけ、まじに息子を投げ飛ばしたお父さんがいた。

その光景を見たその人の妻は「負けてやればいいのに」と、
夫の大人げなさにため息をついていた。

男のプライドにかけてその父は、息子に負けてやるなど出来
なかったのだろう。それが男同士の勝負だといわんばかりに。

3人の息子を持つ叔父も、おそらく自分の息子に勝ちを
譲ったりはしない。そのほうが叔父には似合っている。
そうでなければ、九州男児の名がすたるというものだ。

しかしその叔父も女の子には甘い。おそらく娘が
生まれていたらベタ甘の親父になった事だろう。

かなり姪の欲目は入るがちょっとカズ似のダンディな男である。

イイ男な話 その27『山に惚れた男達』
2001年12月2日(日)
「山男は命知らずだと思われがちだけど
むしろ命の尊さを人一倍知っているんです」と
アルペニストの野口健さんが朝のTVで語っていた。

野口さんは留学していたイギリスの全寮制の高校に
まったくなじめず帰国。自分らしい生き方を探す旅の途中で
植村直巳さんの著書に出会い、植村さんのように
生きようと決意したそうである。

植村直巳さんといえば1984年
マッキンリーの冬期単独登頂中に行方不明になった。
植村さんは1970年にも一度マッキンリー登頂に成功している。
しかし、そのときは8月のマッキンリーだった。

夏のマッキンリーを制覇しただけでは冒険家の血は
満足しなかったのか。野口さんの言われたように
植村さんだって死ぬつもりなどなかったはずだ。

しかし、植村さんの亡くなられた五年後にも
日本最強の登山家と言われる山田昇さんと仲間二人の
命を冬のマッキンリーはうばっている。

”登山家の資質は、危険を冒す勇気ではなく、
撤退を恐れない勇気である”と言われているが
植村さんも弱い自分と真正面から対峙することを選んだ人である。

その結果の死が、たとえ万人には理解されないものであっても
山で死んだ男達が不幸だったとは思えない。
そして身勝手だったとも思わない。
彼らを責めることの出来るのは家族だけだろう。

植村さんは2月12日登頂に成功したという通信の後
天候悪化の為13日下山途中に消息を絶った。

冬生まれのくせに人一倍寒がりだったという植村さんから
最後の連絡があった12日は、植村直巳さんの43歳の
誕生日だったそうである。


(1998年3月8日、北米大陸最高峰マッキンリーに
栗秋正寿さんが世界で4人目の冬期単独登頂に成功している)

イイ男な話 その28『だから人生はおもしろい』
2001年12月3日(月)
私にはジンクスがある。
贔屓のチームの試合を録画すると負ける!という。

私が録画するかしないかで、本当に試合が決まるわけも無く、
自分の気休め、単なるゲン担ぎでしかないのではあるが、
神頼みをしたい気分の時にはついジンクスを気にしてしまう。

ゆえにチャンピオン・シップ第一戦は録画しなかった。

しかしながら、ゲンを担いだ甲斐も無く、終始冷静に試合を
進める磐田とは反対に、熱くなりすぎた鹿島のミスで
開始直後、中山にPKをとられ、続く鈴木の反則による退場と、
まさしく胃の痛くなる試合運びであった。
(鈴木の名誉の為に付け加えるが、翌日の新聞には、相手選手に
身体をつかまれ、振りほどこうと腕をあげた写真が映っている)

後半中山に2点目を献上した時、違う意味で
録画をせずに良かったと思わずにはいられなかった。

だが、サッカーは何が起こるかわからない。
のこり15分。小笠原の蹴ったコーナーキックを
秋田が気迫のヘディングシュート!その一点で完全に流れが
かわり、その4分後、鹿島は同点に追いついた。

最後まで勝負をあきらめない強い意志と
ほとんど決まりかけた態勢をひっくり返す
鹿島の意外性が私は好きである。

流れを呼びこむきっかけは「本山」を投入して
得意のドリブル突破で磐田の流れを止めた。
彼は途中出場で何度もVゴールを決めている
意外性たっぷりの男である。

そしてもう一人。この日の意外性男は「平瀬」だった。
平瀬は今シーズンずっと無得点だった。
好調の柳沢にかえてその平瀬を入れるのは”賭け”に近い!

しかし!そんな土壇場で使ってもらったからこそ
男は期待に答える!同点ゴールを決めたのは「平瀬」だった。

終わってみれば録画を見直したいようなみごとな展開であった。

しかし勝負に油断は禁物である。
たとえ鹿島でも磐田に勝つのはたやすくはない。
次は最後まで冷静に、かつ熱い試合を望みたい。

勝ちはしなかったが負けもしなかった・・。
やっぱりジンクスは生きているのかなぁ???

イイ男な話 その29『懐かしい人々』
2001年12月4日(火)
『三つ子の魂 百まで』という言葉があるが
この言葉、あながち外れてもいないと思う。

小さい頃から妙に悟っている子供も居れば
いつまでたっても大人に成りきれない大人もいる。

それとはちょっと意味は違うが、
中学生の時、同じクラスに『おばちゃん』という
あだなの子がいた。その子は中学生の時からずっと
おばちゃんだったのではないのかと錯覚するほど
大人になっても印象が変らない。

娘の通っていた小学校は私の地元の小学校である。
運動会の時、隣に見なれた顔のおじさんがいるので
おもわず良く見ると同級の『まさるくん』だった。
壇上では『佃煮やのじゅんくん』が
「私がPTAの会長です」なんて挨拶をしている。

それが小学生の時の雰囲気そのままなので
懐かしいと言うより愉快であった。

或る日。PTAの飲み会にお父さんが一人参加していて
話が進むうちに、その気さくで元気な『Mちゃんのパパ』が
私と同じクラスに居た『Nくん』だとわかってきた。

そういえば、小さい頃の面影がなくもないが、
当時の『Nくん』は私の親友のモモちゃんにあこがれていて、
そのことをからかうと、真っ赤になってしまうようなおとなしい
男の子だったので、目の前の快活な中年のお父さんと
とても同じ人には思えなかった。

こちらは姓が変わってしまっているので、最後まで
向こうには気づかれずにすんだが、二次会を断って
帰ろうとする私に『Nくん』は、人懐っこい笑顔で
「○○さぁ〜ん!二次会行かないんですかぁ」と声をかけた。

少しだけ告白したい衝動にかられながら、
私は何も言わずにニコニコ手を振り帰ってきた。

もしあの時告白していたら・・・。

『Nくん』が憧れの君だったわけでもなんでもないが、
何もいわずにきてしまい、ちょっとだけ残念な気がしないでもない。


イイ男な話 その30『オーラ』
2001年12月5日(水)
オーラは後光とも言うが、詳しいことは良くわからない。
誰にもでもあるものだし、誰にでも見えるものだとも聞く。

私は無神論者で宗教的な話は苦手であるが、
今まで二度ほど(正確には三度)
はっきりとオーラを見たことがある。

ずいぶんと前のことだが、街で或る大物歌手とすれ違った。
今でこそ、あまり目立った活動はしていないが
当時は日本全国その人の名前を知らない人はいないし
私と同年代の女の子の殆どは、一度は彼に夢中になり、
その人なしでは、夜も日も明けないくらいの人気者だった。

一時の人気はおさまっていたとはいえ、まだまだかなりの
人気もあった。そんなスターが、まさか日中こんなところを
一人で歩いているとは思わなかったのかもしれない。

気配を消し、人ごみにまぎれて、足早に歩いてくる
その人に誰も気付いていなかった。

しかし、私にはその人が誰だかすぐにわかった。
遠くから彼の発する『オーラ』が、まさしく後光のように
光り輝いて見えたのである。

その時の私は不思議なくらい冷静だった。
すれ違いざま目の端で彼の姿を確認し、
数十メートル行き過ぎてから小声でそっとつぶやいた。

「今の・・・ジュリーだったね」

一緒に歩いていた友人は、私の言葉にびっくりして振返ったが
その時すでに遅し。”ジュリー”こと沢田研二さんの姿は
人の波で遠く見えなくなっていた。

当時、沢田さんが住んでいた地元の商店街で、
私は再び沢田さんと出会っている。二度目の時も、
やはりまばゆい『オーラ』が彼の廻りを囲んでいた。

あんなにはっきり『オーラ』が見えたのは、
あとにも先にも沢田研二さんともう一人・・・・。

その人についてはまたの次の機会ということで。



イイ男な話 その31『殺し文句』
2001年12月6日(木)
『君の声が聞きたかった』

受話器の向こうでこう囁かれたら。
これはかなりの殺し文句である。
特に心寂しい夜には、さりげない一言がきく。

今一番好きな俳優ジョニー・デップの
「フェイク」という作品の中で、ジョニーの演じる特別捜査官ドニーが
遠く離れて長い間会えない妻に、電話をするシーンがある。

電話BOXから掛けた電話に、妻は寝ていたらしく
疲れているからと眠そうな返事しかしない。
それじゃ、明日掛け直すと言いながらも、ドニーは妻に
しばらく電話を切らずに、枕元に受話器を置いてくれと頼む。

『君の寝息を聞きたい』

そう男がつぶやいた時、女はすでに夢の中だろう。

マフィアに正体がバレれば確実に消される。そんな緊張の
日々を送りながら、受話器の向こうから聞こえてくる
妻のやすらかな寝息を、独り電話BOXの中で男は聞く。

アングルは遠くに引かれ、どんな表情で
いつまで妻の寝息を聞いているのかわからない
男の想いはたまらなく切ない。

それまでも気になる俳優の一人だったが、
この映画で決定的にジョニー・デップが好きになった。

こんな男が傍にいたら間違いなく惚れる!

もっとも危険な男である。


イイ男な話 その32『至福の時』
2001年12月7日(金)
貴方がもっとも幸せだと感じる瞬間はどんなときだろうか?

目覚めた時。隣に眠る愛するものの寝顔を眺める時。
たとえ恋人でもなくても、子供でも、猫でも。
やすらかな寝顔はそれだけでしあわせな存在である。

少し前に友達を”抱き枕”の代わりにしている男の
話を小説に書いた。その男が欲しかったのは”抱き枕”ではなく
友達の方だったという話だが、私は抱き枕で充分だ!

最近『癒し』という言葉が、頻繁に使われるが
わたしの最大にして物理的な癒しは今のところ『布団と抱き枕』だ。

「抱き枕」の心地ち良さは、誰かにこの身を”ゆだねる”快感にある。
だから硬めのしっかりとしたものでなければ、抱き枕は失格である。
どんなに無防備にもたれかかっても、どんなにワガママに振舞っても
しっかりと受けとめてくれる。抱き枕は恋人以上の存在である。

それから「布団」には”テンピュール”というマットレスを
使っているが、このマット!一度使ったら忘れられない
知る人ぞ知る!最高に寝心地の良いマットレスである。

わたしの”テンピュール”との最初の出会いは枕である。
それまでもかなり寝やすい枕で寝ていたつもりだったが、
テンピュールを使ったら他の枕では満足できなくなった。

枕がこんなに気持ち良いならとマットレスが欲しくなった!
しかしこの”テンピュール”実はとっても値段が高い!
枕で15000円。マットのお値段はその5倍はするのだ。
そう簡単に買える品ではない。

しかし、たまたま近所のスーパーの大売出しで
そのマットが信じられないような超破格値で手に入った。

人は人生の四分の一は眠っているという。
日頃の睡眠時間から計算すると私の場合五分一以下だが
短かければ短いほど贅沢なやすらぎを求めてしまう。

”テンピュールの枕&マット”そして”抱き枕くん”と
過ごすささやかだが贅沢な『至福の時』である。