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2001年夏号
CHAT:ziggy stardust
間違いだらけの答えを探し出しジギースターダストを幾ばくかの言葉にする試み。

T: TRASH
S: M・須東



2001 Summer
これは2001年8月10日に行ったziggyを言葉にする試みCHATの全ログです。
【FIVE YEARS】
T:このアルバム全体についてストーリィ性があるというのは、よく言われていることだけれど、それに加え
て私は歌詞が非常に映像的、或いは映画的だと感じているんだけど。
S:確かに、歌詞とメロディーだけで、洪水のように脳裏に具体的な映像が溢れ出してきます。たった1曲の
最初のあの1行だけで、すっと主人公に感情移入できてしまうんですよね。
T:ストリートを歩いている主人公の視点で、脳の中に映像が広がっていく感じ、中でも一番印象的だったの
が、アイスクリームパーラーの部分だった。非常に強くボウイ自身を感じた箇所だと思う。
S:地球破滅まであと5年、という超シリアスな物語なのですが、そんな主題の重さよりも、主人公が観たも
の、感じたことの中に渦巻いている、情緒的な切迫感に引き込まれました。
T:私もそのとおりですね。あと5年というのが、時間軸的に猶予が有りすぎて、むしろ主人公の脳裏に去来
する個人的な切迫感のほうが、非常に重く感ぜられた。もうひとつは非常に強いインパクトで、もし、5年で
地球が滅びるとしたら世界はどうなると思う?そしておまえは?と言う意識的な問いかけを感じたのも確かで
すね。
S:映画的・映像的という話に戻ってしまいますが、私的感覚ですけれど、長い映像作品のオープニングであ
りながら、全編通して語られていることの要約?というか全てが、断片的に含まれている、これから起きる全
てが暗示的・予言的に表されているような印象も受けます。ニコラス・ローグの作品によくあるように。
T:アルバム全体の印象を重く修飾しているよね。
この時代に、SFテイスト或いは宇宙的観念をロックに持ち込むのに、ボウイは非常にクールな持ち込み方
だった。[プラスティック]と言う言葉が使われたんだけど、その言葉の語感が全てを表している感じで。


【SOUL LOVE】
S:言葉の語感といえば、2曲目の『ソウル・ラブ』は、これは「魂の愛」という意味で解釈してよいもの
だったんでしょうか?
T:この歌は私の中では、革命の歌として認識されています。新しい言葉を語る新しい世代の、旧態からは受
け入れがたい新しい愛の概念として。
「愛は愛することではなく」って、どう思いました?
S:"Love is not loving"ですね。「愛とは愛することではない」なのか、「愛は愛していない」なのか、と
いう解釈の仕方ですね。多分前者だろうと考えていました。単に意味が深そうだったという理由で。New
love っていうのも何だろう?と考えたりしました。
T:恋愛観が変わった。愛とは、自分の中に存在しているものであって、やったりとったりできないもの。質
量ではないから、「愛する」のではなく、自らの「愛」を以て他者を遇すること。それは聖書でのイエスが割
いたパンのように、減ったりしないものなんだという認識がこの歌で生まれたんです。
S:確かに、何故か宗教的な印象がありますね、この歌詞には。肉体の対義語である魂、というキーワード
や、それに司祭も出てくるし。
T:冒頭の部分の「主義のために命を捧げた息子の墓」がキリストに重なります。これは、アルバム全体に影
を落としている感じがします。
一転『月世代の白日夢』は、デモーニッシュで非常に表裏を感じさせますよね。

【MOONAGE DAYTREAM】
S:この曲は、のっけから、とにかくカッコイイ!ですよね。ロックンロールとしてもドライブ感に満ちた傑
作で。ミック・ロンソンのギターソロのサイケデリック感覚、あの宇宙的な解放感が、たまらない。そして、
詞にもまた、妖しく性的な魅力が漂っていますね。
T:たしかに、寝台に関する歌だと思えます。そして、ここで「おまえ」と言われているのは聴衆でもある。
特に"put a raygun to my head"の部分に、非常に性的な印象をイメージします。
この歌の性的な、しかし性別不詳の魅力もまた、このアルバム全体を縁取っているように思います。
S:あのサビの4行は、実に魅力的ですね。恋歌として危険にロマンティックで。一方、church とか holly
などという語も出てきますが…
T:愛が人類の教会の拠り所であること。それに対して懐疑的な、そして非常にエロティックなアプローチ。
それはボウイ自身が、自分を取り巻く時代と社会に対して、自らを宇宙からの侵略者という位置を取るほど
に、ある疎外感を感じていたように受け取ってしまいます。

【STARMAN】
S:なるほど。宇宙的なイメージは、ただのSF的設定としてだけでなく、そういった意味合いにも取れるん
ですね。次の『スターマン』にもまた、同様の視点を感じられますね。さっき出ていた、聴衆をも指す二人
称、という部分は、より『スターマン』に、まさに色濃く出ていますね。childrenという呼びかけに、非常に
グローバルな視野を感じます。
T:この歌もまた「若い世代にしか聞こえてこない」もの、ロマンティックだけれどリスキィな歌だと思う。
「誰かに電話をしなければと思って君に電話をしたんだ」というところが、非常に世代的にリアル感を感じま
す。けっして印象のようにスイートではない、スターマンはハメルンの笛吹き男や、断崖から身を投じるレミ
ングの群れの先頭のような恐れを内包している。それは、即ちロックが内包しているものなのだと思うけど。
S:群衆を先導する者、ということですか? Starman という造語にも、そのコンセプトは、現れていると
思いますか?「空で待っている」「父さんには話しちゃいけない」等、何かしらの警鐘の象徴であるようにも
受け取れますが。
T:外から来て既存の価値観をぶち壊す、これはむしろボウイ自身が求めていたことではないでしょうか。や
はりこの歌も、革命の歌で有るように思います。

【LADY STARDUST】
S:そういう意味では「レディー・スターダスト」は、まさに衝撃的な魅力で人々を討ちのめす人格として描
かれていますね。
T:この歌は私にとっては性倒錯の歌なのです。
S:私の場合、それは『Moonage Daydream』ってことになっています(笑)
この歌は、ライヴにおける、ステージの上と下に隔てられた者同士の関係性や、音楽的熱狂について、何かを
示唆している曲という気がします。
T:ステージの下から上を見つめる。そのことがステージの上にあるものに熱狂として伝播していくことは現
実にもある。人称が混沌としている分、この熱狂の伝播だけが混沌の中の唯一確かなものの様にさえ思えてき
ます。
非常にリアルなロックンロールの現場。それもグラムと呼ばれるようになる72〜3年の現場感が色濃く感じ
られるようでもあります。
【STAR】
S:続く『スター』では、更に具体的に、“ロックンロール・スターとして”の一人称語りへと展開していき
ますが、ここに我々は、当時、ボウイの置かれていた状況を重ね合わせて見ることも可能でしょうか? これ
らの曲を作り発表した時点では、実際に彼は、こういったスターダムを手に入れていたのでしたっけ?
T:この『スター』で重要なのは[スターダム]と言う位置よりも、「ロックンロールスター」という位置付
けだと思います。革命や戦争に赴く友と同じだけの何かを担って、「ロックスター」として生きる。『Lady
Stardust』で、歌い手は非常に「素晴らしい」存在でありながら、人々(聴衆)の嘲りの対象でもある。同じ
ように『スター』でも「ロックスター」という位置付けが万能ではなく、だが、自らはそれを選び取っている
という、皮肉っぽいが確とした覚悟のようなものが歌詞全体から浮き彫りになっている気がします。
芸術(歌)に出来ることの限界をやはりどこかで認識しているような気もします。
実際本当にスターダムにはこれから上り詰めようとしている時点で作られたような気がします。

【HANG ONTO YOURSELF】
S:『Hang onto Yourself』では、ロック・スターである同じ主人公が、既にスターとしての名声と栄光を
手に入れており、その頂点からの歌いかけであると感じるのですが。
T:イギリスにおいてロックが重要な位置を占め始めている時代の力のようなものが漲っている。と同時に
「HANG ONTO YOURSELF」と言う言葉に非常に強い意味を感じました。現在の自分のスタイルまで影響を受
けています。ステージ上のスターと対等であろうとする姿勢というか、スターに聴衆としての自分を委ねてし
まうのではない在り方を模索するというか…。
S:それは、やはりサビの3行の解釈ということですか? "if you think we're gonna make it"を含む…。
T:そのとおりですね。この歌自体が持っているアトモスフェアのいかがわしさの中に、この「もし我々に本
当にやってのけさせたいなら、おまえ自身にすがるのが一番だ」という言葉が入っているところが私にとって
は、言い過ぎかもしれませんが、非常にボウイ的な、スクリュー状の振幅を感じるんです。
S:なるほど。私は、どうも、いわゆるロック・スターの乱痴気騒ぎなイメージでしか、捉えていませんでし
た。Come on の繰り返しが挑発的で、聴いていて非常に煽られ感がありますね。
T:この Come on の繰り返しは、セクシャルなエモーションがありますね。この曲自体の持っている、一つ
の限界を超えたドライブ感が、この情緒的でストーリー性の強いアルバムに、ロックンロール・アルバムとし
ての芯を付加している感じがします。いわゆるハードロック的な重量感が付け足されている。
それは、次に来るこのアルバムのタイトル曲『ZIGGY STADUST』の持っている、特別な重量感とはまた、
違った意味で、ですが。

【ZIGGY STARDUST】
S:LPだと、ちょうどB面に返して、2・3曲目に、小気味よいロックンロール・ナンバーが続いており、
それが急に、あの、やや気だるい官能の色香を纏ったギター・イントロに取って換わられる。あれは、いい意
味でショッキングですよね。頭の芯がクラリとしちゃいますよね。
T:この前奏は魔力があるんですね。そしてこの歌い出しが、この歌がこのアルバムの中でとりわけ特別な歌
であることを顕している。
ジギーという架空の男が、ここでは神格化され、そして卑しめられてもいる。
ここに、犠牲(いけにえ)としてのロックスター。或いはメサイア(或いはキリストでもいいのですが)として
のロックスターが表現されている。
このアルバムの持つ宗教的な象徴性は、シンボリズムの絵画のように、神を或いは神話を描いていながら、そ
の実、非常にセクシュアリティーに満ちた主題を扱っている、そして、歌詞の中に色濃く漂い始める死の匂い
までが、或る種のセクシュアリティーを醸し出してさえいる気がするのです。(語りすぎ)
S:エロスとタナトス。宗教的であり淫靡でもある。具体的なストーリー性をもって語られているようである
のだけれど、言葉によって投げ与えられるイメ−ジの、あまりの振り幅の広さというか、豊富さに圧倒され、
幻惑されてしまって、なかなか冷静に思惟するのは難しいナンバーです。濃厚。ギュッと色んなものが凝縮さ
れている。
そうそう、"Making love with his ego" からの1行。ナルシシズムの描写だとよく言われていますが、あの
部分に現れている”自我・自己”というものについては、どう思われますか?
T:Ziggy と言うパーソナリティそのものが、ボウイ自身の[スーパーエゴ]だと思う。
「自我と交わり、自我に呑まれ」と続くこの部分では、Ziggy 自身はウロボロス(尾を飲む蛇)の様に世界を
完結してしまい、他が入りこむ余地がなくなってしまう。ある境地であるとともに、非常に危険で、(子供た
ちに殺されてしまうような)ついていけない存在でもある。この劇的結末は、当時展開されたZiggyツアーそ
のものの最終公演で、自らZiggyを終焉させるに至るほどの完成度を、ボウイ自らに課してしまったのだと解
釈していました。
S:この重い曲と、更にアルバム中で最もシリアスな楽曲である『ロックン・ロールの自殺者』との間に、再
び軽快なR&Rナンバー『サフラジェット・シティー』が挿入されていますが、これは…

【SUFFRAGETTE CITY】
T:このナンバーは曲として傑作だし、その後いろいろなライブでも、ステージに非常にシュールで強烈なイ
ンパクトを付加していたけれど、むしろ、このアルバムの中では、ストーリィの坩堝の中に投じられた音楽的
な起爆作用という感じですね。
物理的に前奏を聴いただけで「身も心もたぎる」そのことこそが、ロックでは重要だという部分を表出させて
いると思うのです。
S:そして、キャンプなスパイスも利いていますね。いたずらにイマジネーションを掻き立ててくれる曲でも
ある。
『ロックン・ロールの自殺者』は、“ロックンロール”というキーワードと“スイサイド”という不穏な語を
合わせたタイトルになっていますが、ここで改めて Rock'n'roll という語を絡めた意図は、どのようなものな
のでしょうね。

【ROCK'N'ROLL SUICIDE】
T:芸術と同義と解釈して良いのではないでしょうか。
この深い、絶望は、この先のボウイのおよそ30年間に渡る遠征を思ってしても、なお深遠ですね。そして最
後の逆転がある。
当時のライブにおいて、客席に手を差し伸べるあの行為そのものとあいまって、このアルバムの伝説性をいや
増しに深めていると思うのですが。
「あなたは素晴らしい 私の手を取って」という繰り返しに、最も強いボウイの意思を感じます。
S:そして「あなたはひとりではない」。ダイレクトに聴衆に訴えかける重みのあるフレーズが、最後に切々
と絶唱されるので、オーディエンスとしては、それはもう、大いに心揺るがされる部分ですよね。しかも、あ
の曲における二人称は、ただ目の前に居る対象に向けられているのでは無いように思われるんです。もっと広
いスケールでの呼びかけ……物理空間的な意味のみでなく、時間軸的な普遍性をも持つ、"you" という観念
が、あそこには込められているように感じます。
T:そうですね。そしてそれこそが、この突出した特異なものである、このアルバムがこれほどまでに普遍的
な価値を持つ所以で有ると思うのです。
ただ、手を差し伸べている側であるはずの歌い手が、その腕に大きな悲劇的なニュアンスを持っていた。私だ
けが感じているのではないと信じたいのですが、非常に大きな負の陰の要素がこの、普遍性の中に秘匿されて
いる気もするのです。
だからこそ、時代の要請によって現出し、そして現在も20世紀を代表するアルバムの一枚として世界に認識
されている『Ziggy Stardust』の中で、この曲こそがこのアルバムの大きなアイデンティティーの要になっ
ていると思うのです。
S:そして、この,オーディエンス〜世界につながる"you"への呼びかけ。その姿勢こそが、後に、彼に
“HEROES”を歌わせ、“hours...”を創作させたモティベーションとなっていくのではないかと思うのです
けれど、それは、また、別のオハナシですね(笑)
実際、あのアルバムに針を落とし、彼のあの声を聴き、それが自分の胸に響くのを感じてしまえば、こんな言
語化された理屈なんて、ふっ飛ぶくらいのリアルな衝撃があって、もうそれだけで充分なんですよね(笑)
この頁のアップに際しては須東さんに全面的にご協力をいただきました。
心から感謝します。
M.須東 TRASH=belne
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